<あらすじ>
2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、銃で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。しかし、その列車にたまたま乗り合わせていた米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーが男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する。2015年にヨーロッパで起こった無差別テロ「タリス銃乱射事件」で現場に居合わせ、犯人を取り押さえた3人の若者を主役に、事件に至るまでの彼らの半生を、プロの俳優ではなく本人たちを主演に起用して描いた作品。
スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、 ウィリアム・ジェニングス、ポール=ミケル・ウィリアムズ、ブライス・ゲイザー、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー、レイ・コラサニ、P・J・バーン、トニー・ヘイル、トーマス・レノン 他 出演
クリント・イーストウッド 監督作
<感想>
映画的ってなんだろう、映画的なという言葉をよく使ってしまうけれど、説明出来ないけれど映像で説得力をもたせてしまうものを観た時に感じる気持ち。
印象に残っているふたつの場面。
暇そうなアンソニーに銃オタクなスペンサーが撃ち(鳥でも)に行く?って誘うと
「やらない。なんていうか・・黒人はお遊びではそういうことやらないよ・・」という場面と
ラストの列車の中でスペンサーが怪我をした乗客の出血を防ぐために救急隊が到着するまでずっと指で押さえていた場面。
いわゆる大好きな銃を使うためだったら遊びで生きている鳥たちを撃ちに行けてしまう神経だったスペンサーが、アンソニーのひとことで、なんとなくそういうこと(命を玩具にする)っていかんよな的な空気が流れるあの感じは
文章よりも映像内での何気ない表情で伝わるし、出血を押さえている場面では手を離せない緊迫、特に救急隊が到着して押さえている手を彼らの誰かに託す時の緊迫は、文章よりもその行動そのものを映像で観た方が、そのままダイレクトに伝わってくる。
でも、そのふたつ以外は正直いったい何を観に来てしまったのかという気持ちでいっぱいだった。
最初に出てくるシングルマザーへの差別的な発言と、ただの個性を病気と決めつけた対応をしてしまう前代未聞な無能ぶりを発揮してくれる学校関係者の描写にしても、三人の生い立ちにしても、なんかこう、あれなのだよね、とても一方的な視点からでしかなくて、ひとつひとつがヤケに簡単で広がりのない場面が延々と続く。
特に長かったのは観光場面。これがただの観光でしかなくて。確かに普通の青年たちの観光なので自撮り棒で撮りまくりながらとか、食事とか、そんな普通の時間たちを描くのはいいし、それはかけがえのない時間なちなのだけれど、それを映画として観るのにはちょっと忍耐が必要。正直、インスタ映えという字幕ですら古臭く感じられるご当地CM映像的なもんが長々と続くので、どうした、イーストウッド監督??本当にご本人が撮っておられるのですか?と質問攻めしたくなる。もう、そこには『ミリオンダラー・ベイビー』で主人公が持つアルミホイルひとつで、その人の生活環境をわからせるような鋭さはなくて・・
思えば、ここんとこ実話を撮りまくっているイーストウッド監督、
ついにはプロの俳優ではなく本人たちに演じさせていて、それも少し戸惑ってしまう。
彼らが巧いのかどうなのかは英語の会話具合が詳しくわからないアタシには判断できないけれど(雰囲気は悪くない)
彼らを眺めながら、どうなんだろう・・とつい思ってしまう。
確かに素晴らしい若者たちだし、行動してくれたこと、本当に尊敬してしまうし、その場にいなかったとしても、思わず感謝したくなってしまうくらいだけれど、本人たちがそれを再現するのには限界がある。
どうしたって、その時のことは、その時でしかない。
ましてや、普通の人たちでもヒーローになれるよというなら
それも少し問題な気もしてしまう。だって、ヒーローじゃなくてもいいじゃないの。
逃げたって誰も責めないよ。身を粉にしてというの、なんかむしろ怖い。
いや、考えすぎかもしれなけれどね。
最初の予定であったプロの俳優さんたち(カイル・ガルナーさん、
ジェレミー・ハリスさん、アレクサンダー・ルドウィグさん)が演じていたらどうだったのだろう。
なぜ三人だけにフォーカスして、もうひとりのクリス・ノーマンさんのことは無視だったのか。
同じ列車に乗り合わせていた俳優ジャン=ユーグ・アングラードさん(『ベティ・ブルー』大好きでした)のことも映画ではなぜふれられていないのか。
あのテロリストの背景や、あの後、彼はどうなったのかとか。気になりだしたらキリがない。実話だけに。
とにかく、ドキュメンタリーでもなく、フィクションでもなく。
かといってイーストウッド監督が新しい分野にチャレンジしたスゲぇというような
肯定的な気持ちにはイマイチなることは出来ず、なんだか不完全燃焼でありました。
*2018年3月の或る日、映画館で。
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