やっぱり映画は映画館だよね。
*星マークが、5:大好き、4:好き、3:キライじゃないよ、2:なんで観たのか、1:時間と金返せ

 「メッセージ」  2016年 アメリカ

<あらすじ>
突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズは、“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは・・
エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、
マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー 他 出演
ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督作



<感想>
念のためにワクチンを打ち、防護服を着る。
それでも足りずに生きた小鳥まで安全の実験のようにおき
残酷さと臆病さと滑稽さを隠そうともせずに
自分たちとは異なる生物が地球に舞い降りてきた理由を知りたがる人間。
まだ起こりもしないことに不安になっているのはどうしてなんだろうね。

いつから時間の流れに沿って生きるようになったのか
そもそもどうして時の流れは過去から未来なのか・・
気がつけばなぜか自然にそう思いこんで生きていたから
彼女が幾度となくフラッシュバックさせていた愛すべき娘との日々を
最初は当り前のようにルイーズの過去の
哀しい想い出なのだと思いこんで観ていたら
そうじゃなかった!と知った時の、新鮮なショック。
あぁ、そうだよね、確かにそうだよね・・と気がつく。
過去も未来もない。それは、すぐそこにあるもの。
いつか起こる逃れることの出来ないことに縛られ不安になるけれど
たとえ、哀しみが待っていようと、今この瞬間を生き
出逢いを否定しないルイーズの繊細さと強さの狭間に切なくなる。

命はいつかは消えていくのにどうしてこんな生き方をしているんだろう
ありのままを生きて瞬間瞬間を愛せたら、どんなに素敵だろうとわかっているのに
どうして傷つけてしまうのだろう、なぜ勝手に不安になり争ってしまうのだろう・・

ルイーズが籠の中の小鳥をチラリと観てから
防護服を脱いだ瞬間の開放感と アボットとコステロが
突き飛ばして助けてくれた時に感じた鼓動が忘れられない。
思えば昔、言葉じゃない気持ちだよ、と、ただ漠然と
軽く言い放っていたけれど、そうじゃないんだと今更ながら実感する。
言葉が気持ちを作るのかもしれない、言葉が性格を作り
思考になり、行動になっていくんだものね。
今はただ言葉をちゃんと持ちたい。自分の言葉を・・
映像と音が重なり、静かに感傷が歩みよってくるような
なんとも沁みる不思議な映画でした。



*2017年5月の或る日、映画館で。




 「スプリット」  2017年 アメリカ

<あらすじ>
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が乗り込んできて3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な密室。彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男はさっきとは違う異様な雰囲気で姿を現す度に異なる人物に変わっていた。彼には23もの人格が宿っていた。そして、さらに恐るべき24番目の人格が誕生して・・・
ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイ、ベティ・バックリー、
ヘイリー・ルー・リチャードソン、ジェシカ・スーラー、他 出演
M・ナイト・シャマラン 監督作



<感想>
『アンブレイカブル』を観たのはいつだったか・・
ほとんど忘れていたのだけれど
最後のダイナーで某氏登場のあの場面に、あれ?となり
エンドロール後にふーん・・そうなんだぁ・・となり
あぁ、そういえば列車事故の話だったよなあ
だから、あの場面で、ホームに花束だったのか・・となり・・
なんかこう、こーんなに長い年月が経ってからの続編風なノリに
すんごく、ぼんやーりした気持ちになりました・・・(苦笑)

よくわからんけれどシャマラン監督って
超人説や能力の可能性を問いたいのでせうか・・
『シックス・センス』の時には少年の第六感で
虐待されて逝ってしまった少女のことを見つめてくれて
『アンブレイカブル』では全身の骨が骨折しやすい難病の男と
何があっても死なない丈夫な能力をもった男、
そして今回の『スプリット』23人の人格を持つ多重人格で
24人目は超人ハルクかよって感じの男になるという。
この映画の主人公も子供の頃に親に虐待されていて
もしかしたら、自分を守るために多重人格(解離性同一性障害)に
なった可能性もあるのだろうなと思うと
最後のどんでん返しとか、そこはどうでもよくて
虐待されたり、世間から隠れた所で誰にも気がつかれず
酷い目にあっている立場の人達にパワーを持たせたいのかなあと
そんな風に勝手に想像してしまった。

でも、『スプリット』ちょっとB級チック。
だって、拉致監禁されてしまう3人の女子、もう一人の主役でもある
ケイシ―以外のふたり、あんなに悲惨な目にあっているのに
ものすごく雑な扱いで、どういうこと?って思ってしまう(苦笑)
精神科医も演じるベティ・マックリーさんの存在感は素敵だけれど
作品中の存在感は中途半端な扱いなので、あの肝心の場面での
ハラハラ度がいまひとつな感じになってしまう。
それでも、ケイシ―の存在はとても興味深かった。
子供の頃からの場面がフラッシュバックされ
彼女もまた叔父に虐待され強姦され続けてきた過酷な人生だったと知る。
そしてラスト、せっかく助かったはずの彼女を迎えにくるのが
あの、叔父、というケイシ―にとっては最悪の結末。

なので、次の超人対決の話よりも
ケイシ―のその後の方が 気になるといえば気になるので
そういう意味では続編も気にしていたいけれど
シャマラン映画は果たしてどんでん返しなのだろうかと疑問になる。
確かに『シックス・センス』のラストが 心に残っているのもあって
ついつい彼の映画に あのレベルを期待してしまうけれど
あの映画は、たとえオチがわかってもいい映画だなって思うし
他の映画も好き嫌いは別として
それほどどんでん返してない気がするんですよ。
とくに今回のは、まったくどんでん返しじゃなかった。
核になっているのはそこじゃない気がするんですよね。
いい具合にB級チックというお茶目さもあり
昔、テレ東であった洋画劇場で木村奈保子さんが時々
紹介するのに困りそうな映画を紹介してくれるような
そんなタイプの映画な気がするんですよ (・・って、どんな映画だ・笑)
なので現代のヒッチコックとか、そういうんじゃない気がする
(でも、ちょい出たがりさんは似ている・笑)
なのでもう、彼の映画のラストに期待するような観方はやめよう、
そう決心した作品でもありました。



*2017年5月の或る日、映画館で。




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