やっぱり映画は映画館だよね。
*星マークが、:感動!、:好き、:悪くはないけど、:なんで観たのか、:時間とお金返して

 「エイリアン コヴェナント」  2017年 アメリカ、イギリス

<あらすじ>
宇宙移住計画を実行するために地球を旅立ったコヴェナント号にはコールドスリープ中の男女2000人を乗せ、植民地となる惑星を目指していた。船を管理するのは最新型アンドロイドのウォルター。ところがアクシデントが発生し数十人が命を落としてしまう。乗組員が修復作業を行う中、謎の電波を受信したコヴェナント号は航路を変更し電波発信元の惑星に向かうが・・・
マイケル・ファスベンダー、キャサリン・ウォーターストン、
ビリー・クラダップ、ダニー・マクブライド、デミアン・ビチル、カルメン・イジョゴ、
ジャシー・スモレット、キャリー・ヘルナンデス、エイミー・サイメッツ、
ナサニエル・ディーン、アレクサンダー・イングランド、ベンジャミン・リグビー、
ウリ・ラトゥケフ、 テス・ハウブリック 他 出演
リドリー・スコット 監督作



<感想>
エイリアン、リドリー・スコット監督ということだけで 急いで観に行ったので
観終わった後、これエイリアンの続編じゃないじゃんとグチっていたら
落ち着いてちゃんと情報を読んでみれば『プロメテウス』の続編であり
1979年公開の『エイリアン』の前日談として製作された・・とあるではないですか・・
いや、確かにそうなのだよ、そもそもそうだったのですか、早とちりしました・・(苦笑)

それにしても、とにかくクルーたちがドジっこばかりで困りました。
特に船長燃えちゃった後の新船長がダメすぎて笑えます。
とはいえ、ちょっぴり気持ちはわからないでもない・・
人の声で音が聴こえてきたら、気になるから、うっかり覗いてみたくなる。
多くの命たちを乗せているんだからよくわからん惑星に
簡単に入ってしまうのバカ?って感じだけれど
でも考えてみると、その軽薄な行動そのものって
すべての人間に言えることなのかもしれないなあと思えたり。

人間って、良くも悪くも賢いゆえに自分たちの出来ることに疑いを持たず
結果何も考えずに平気で他の生物たちの命を左右してしまい
土足でどんなものでもイジってしまうから
自分たちが支配されるなんて夢にも思っていないから
そういう軽率な行動が出来ちゃうんだろうなあ。
なので、あのラストシーン、映画を観終わった直後は あんなラストで
観客が驚くと思っていたのか監督も老いたなと短絡的に思ってしまっていたけれど
観終わって何日かして思い返してみれば、あぁ、そうか、なんの疑いもなく
デヴィッドだとも気がつかず自分に忠実に動いてくれるウォルターだと
信じて行動してしまうあれこそが人間の傲慢さと短絡なのかと思って
逆に味わいを感じ、続編がすごく待ち遠しくなりました。

というかマイケル・ファスベンダーさんってホントにアンドロイド顔!
笛の場面でデヴィッドがウォルターの頭に笛を突き刺すんじゃないかと
いや、むしろ突き刺してほしいと、無駄にドキドキしました(笑)
そしてなんだかんだと最高だったのは背中からエイリアン生まれる場面、
もう、グロくて怖いのに炸裂するんです、こういうのって映像で表現してこそ。
地獄のようであり強烈なんだけれど、どこか開放感さえ感じるのはなぜだろう。



*2017年9月の或る日、映画館で。




 「ダンケルク」  2017年 イギリス、アメリカ、フランス、オランダ

<あらすじ>
1940年、連合軍の兵士40万人がドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミーら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長ミスター・ドーソンは息子らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットのファリアが、数的に不利ながらも出撃する・・・
フィン・ホワイトヘッド、トム・ハーディー、マーク・ライランス、ケネス・ブラナー、
キリアン・マーフィー、アナイリン・バーナード、トム・グリン=カーニー、 バリー・コーガン、
ジャック・ロウデン、ハリー・スタイルズ、ジェイムズ・ダーシー 他 出演
クリストファー・ノーラン 監督作



<感想>
静かな幕開けビラの舞う中、その紙はアレに使えるから大切だよね、
吸いがらも欲しいよね、となった瞬間に突如響く銃声・・
思わず若い兵士トミーと一緒に身を屈みビクっとする。
そこからずっとこの映画と一緒に観えるものを眼で追いかけ
聴こえるものにいちいちビクついていた。
防波堤の1週間と海の1日と空の1時間、
そのすべての1が交差した時の映画的遊びにドキドキしながらも
裏側にある死そのものに心が折れる気持ちになってしまう。
海に沈みゆく若い手、民間船で視界の暗闇の中そっと息をひきとる少年、
スピットファイアを自らの手で燃やすために敵の捕虜になったパイロット・・

特に心に残っているのは民間船の船長ドーソンと息子のピーターと
ピーターの友だちのジョージが助けたイギリス兵が
疲労と恐怖心のあまりダンケルクに向かうことを拒否して
もみ合ううちにジョージを死に追いやってしまうまでの場面・・
そんなつもりはなかったイギリス兵がジョージの具合を心配して
ピーターに二度訊ねるのだけれど一度目は「大丈夫じゃない!」と
強く言い放ちながらも、しばらくしてもう一度具合を訊ねられた時に
「大丈夫だ・・」って言ってあげるんですよね。
そのやりとりを観ていたドーソンがピーターにそれでいいって頷いて
その後、体を縮こめるイギリス兵の背中をポンポンと
優しくたたいてあげるのです。

その流れがなんだか切なくて、たまらない気持ちになってしまったし
でも、新聞に載ってしまったからいつか知ってしまう、
あの時死なせてしまったのだということを。
描かれていないその後のことを想像すると切なさが倍増に。
そして、何が何だかわからないうちに死んでしまった
ジョージのことを思うとそれも切ない。そういう切ないの重なりが
この映画の隅から隅までぎっしりつまっていてこれだけぎっしりと
つまっているのに上映時間が1時間46分ということに感動。
近年、内容も薄いのに無理矢理に前後篇にわけるどこぞの映画とは大違いだ。

殺すためではなく救うために戦った1週間と1日と1時間・・・
それにしても、どんな時でも紅茶はあるのか!(笑)
いや、笑いごとじゃないけれど、とりあえずは紅茶だよって感じの
絵に描いたいたようなイギリスらしさに微笑ましい気持ちになるのはなぜだろう。
映画を観終わったら即行紅茶を飲みジャムたっぷりパン食べたくなっちゃうよね。



*2017年9月の或る日、映画館で。




 「散歩する侵略者」  2017年 日本

<あらすじ>
数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。 急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海。 夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていくのだった。 その頃、町では一家惨殺事件が発生し奇妙な現象が頻発する。 ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、 二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。 やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く・・。劇作家・前川知大氏率いる劇団「イキウメ」の人気舞台を映画化。
長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己、
高杉真宙、恒松祐里、前田敦子、満島真之介、笹野高史、
東出昌大、小泉今日子、児嶋一哉、光石研 他 出演
黒沢清 監督作



<感想>
概念って強いようで頼りない。それぞれのことを
宇宙人に質問されても言葉で明確にきちんと説明できないものを
なんの疑いもなく受け入れて生きているのが人間だから
それをすっぽり失くしてしまうと、それまでの何もかもが違ってしまう。
概念をとられる瞬間、人は皆、涙をながしてへろへろになってしまう。
面白かったのはひきこもりだった青年が概念がなくなると
何も気にしなくなるから 外に出て皆の前で大声で
自分の思いを発言したりできてしまったという場面、
そうだよねぇ、概念ってある意味やっかいなのだ。

でも、愛という概念だけは、なかなか奪えないもので、
どうしてだろうと思っているとあのラストになるわけで。
皮肉めいている、世界が終わってしまうなら
せめて人間を誤解しないで宇宙に帰ってほしいと
鳴海は真ちゃんに愛をもっていってもらうんだけれど
それをもらってしまったばかりに、真ちゃんは侵略できなくなってしまうという。
だけれど、地球が残っても、鳴海は愛を失くしてしまっているので
果たして生きていて幸せなのだろうかという、ね。
その前の場面の桜井の存在も皮肉めいていて彼は孤独で
愛をなくしているけれどなんだかんだと宇宙人の青年と一緒にいるうちに
自分を必要としてくれているのは、そいつだけなんだと思って
最後は俺の体にうつれと言うところ、これは鳴海の逆バージョンであり
その狂気がある意味この映画のクライマックスな気がして。

面白かった、だって、鳴海も桜井も愛がなければ
生きていけないという点では同じで
桜井は愛を持っていない体になってしまったので
破壊に向かって突っ走ってしまったのだし
鳴海はすべての愛をあげてしまったからこそ
空っぽになってしまったのだから。
でもこの愛の概念。牧師の言う、愛は寛容で親切で
人をねたまず、自慢せず、高慢にならず
礼儀に反することをせず、利益を求めず・・
これはなんだろう、なぜかキリスト教でもないのに
受け入れている、これは必要なことなのだと。
概念があるからこそ、映画を観て彼是思うのだから
これとっぱらったら、いい方に解放されても
解放されすぎて立っていられなくなるのだろうね。

冒頭からして残酷と可笑しみが混ざり合う、あの、どことなく陳腐で
プロとアマの間のような独特なリズム漂うこの映画の楽しさもあるけれど
それと同時に演者を楽しむ映画でもあって
死んだ目でふわりと浮遊しているまさに宇宙人的な龍平さんや
軽妙だけど退廃的で奇妙な狂気を体現しているような長谷川さん、
この映画では和製トミー・リー・ジョーンズ的な感じだった笹やん、
もっさりと怪しい満島さん、冷たい綺麗な青年の高杉さん、
無邪気な残酷さを放つ恒松さん、一見マトモそうだけれど
瞬きしない眸が怖かった東出さんなどなど、他にもクセモノがわんさか。
そんな中で、ひとりだけポンと正統派な演技を投げかける長澤さんなど
全員面白い。めずらしい、こういうのも。



*2017年9月の或る日、映画館で。




 「新感染 ファイナル・エクスプレス」  2016年 韓国

<あらすじ>
ソウル発プサン行きの高速鉄道KTXの車内で突如起こった感染爆発。疾走する密室と化した列車の中で凶暴化する感染者たち。感染すなわち、死。そんな列車に偶然乗り合わせたのは、妻のもとへ向かう父と幼い娘、出産間近の妻とその夫、そして高校生の恋人同士・・・果たして彼らは安全な終着駅にたどり着くことができるのか?
コン・ユ、キム・スアン、チョン・ユミ、マ・ドンソク、チェ・ウシク、アン・ソヒ、
キム・ウィソン、チェ・グィファ、パク・ミョンシン、シム・ウンギョン、イェ・スジョン 他 出演
ヨン・サンホ 監督作



<感想>
ゾンビ映画を心臓にしながらもシンプルだけれど
様々なことを感じさせてくれる面白さがあって
始まってから観終わるまで一秒も飽きることなく突っ走っておりました。

家族の問題、友情、信頼、差別、理不尽・・ そん中、考えさせられてしまったのは
悪者にされがちな車両のドアを開けなかった人たちなのだけれど
もしも、自分が、そちら側だったら、開ける勇気があったろうかと
感染していたら・・と、どうしても思ってしまうだろうし
こんな事態になった時、果たして自分のこと以外にも
他人も思いやれることが出来るのだろうかとそんなことも思ってしまい
だからこそ、コン・ユさん演じる主人公がぬぐえない血を手につけながらも
自分さえよければというところから、皮肉にも非常事態になったからこそ
娘のスアンちゃんの本音にふれて、そこから心が広がり
他人のことも自分と同じように思いやれる行動になっていった時の
切なさが身に沁みてしまったのだった。

昨日も明日もない、生きているのは今この時だけなのだと
わかっていても、何度も人はすぐに忘れて
目の前のすべてを大切に出来ずに、この時が最後かもしれないのに
あっと言う間に何かに感染してしまうかもしれないのに
どうしてテキトーに不親切にしてしまうのだろうね、って
なんだか、そんなことを思わせながらも、ゾンビの迫力と
この映画のパワーとスピード感に圧倒させられるエンタメにもなっていて
ひさしぶりに1800円でもおつりがくるような気持ちにさせられたし
ラストのスアンちゃんの歌声には涙が自然に溢れてきてしまいました。

とにかく、面白かった、そのひとことにつきます。
もう、可能ならフォントサイズ100ぐらいにしたいくらい・・
面白かった!!です。



*2017年9月の或る日、映画館で。




 「関ヶ原」  2017年 日本

<あらすじ>
豊臣秀吉の死後、豊臣家への忠義を貫く石田三成は、天下取りの野望に燃える徳川家康と対立を深めていく。そして戦国時代に終止符を打った歴史的合戦「関ヶ原の戦い」は、早々に決着がついた。有利と思われた三成率いる西軍は、なぜ家康率いる東軍に敗れたのか?司馬遼太郎の著書を映画化。
岡田准一、役所広司、平岳大、有村架純、東出昌大、大場泰正、滝藤賢一、
中嶋しゅう、北村有起哉、伊藤歩、音尾琢真、松角洋平、和田正人、キムラ緑子、
中越典子、壇蜜、西岡徳馬、松山ケンイチ、麿赤児、久保酎吉、春海四方、
堀部圭亮、三浦誠己、たかお鷹、松島圭二郎、橋本じゅん、原田遊人、
山村憲之介、宮本裕子、永岡佑、辻萬長、和田菜々、生島翔、
中村育二、辻本晃良、天乃大介、吉村界人、関口晴雄 他 出演
原田眞人 監督作



<感想>
かっこよかたなあ、島左近役の平さん、
骨太な風貌で野生的で佇まいが素敵で惚れました。
そして、この映画って・・・家康役の役所さんが主役だよね?
って、思うくらい家康が魅力的に描かれているというか
役所さんが演じたから魅力倍増だったのか
姑息で面白くて太鼓っ腹も爪かみも母衣を作っている姿も
時々とってもチャーミングかと思えば
めっちゃ残酷なところもあり 印象残りまくりです。

それゆえに三成の印象薄いというか・・
そもそも彼の言う正義っていうのに無理があるというか
一度思ったら義を尽くすってのも言葉だけでは無理がある。
今はあれでも昔はよかったというのセリフではあるけれど
まさにそのヨカッタ部分を忘れられなくって
どうしても、ついていたいんだという、一瞬でもいいから
そんな場面欲しかったし最後の戦いの場面にしても言ってみれば
三成に人望がなかっただけでしょ?って思ってしまうくらい印象薄い・・

いや、薄いというか、なんだろう、例えば初芽との恋話とかも唐突すぎて
馬で追いかけて行って気持ちを伝えるほどの場面必要だったのだろうか
その辺、そこに行くまでの感情を丁寧に描いてくれていないので
白けるふたりでしかなくてですね、ふたりの場面いらないよって思ってしまう。
なので、ラストシーンも鼻で笑ってしまう、なにかとってつけたみたいで。

肝心の戦いの場面にしてもエキストラや馬の数は迫力あるけれど
戦いそのものの迫力に欠けるので全体的に痛みをあまり感じない
こじんまりしている印象があって結果一番印象に残るのは
爆破の場面と字幕の大きさだけだった。
それから、あのちょいちょい入る語りが大河ドラマっぽくって邪魔だった。
その語りを映像で観せてこそなのではとも思うのです。

決してつまらなかったわけじゃないし
よかったところもあるのだけれど可もなく不可もなく
心にすとんと残らない。食べる前は美味しそうだったのに
食べてみたら、味の足りない料理食べた気分でいっぱいになる。
不味くはないけれど、なんだかなぁという不完全燃焼気味。
いっそ、島左近が主役だったら面白かったのでは。
・・って、すみません、平さんの島左近がカッコよすぎて
もう少し眺めていたかったので、ついつい欲張りました(笑)



*2017年8月の或る日、映画館で。




 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」  2016年 アメリカ

<あらすじ>
アメリカ・ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラーのもとに、ある日一本の電話が入る。故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョーが倒れたという知らせだった。 リーは車を飛ばして病院に到着するが、兄ジョーは1時間前に息を引き取っていた。 そして、兄の遺言を知って絶句する。兄ジョーは、息子のパトリックの後見人にリーを指名していた。弁護士は、遺言内容をリーが知らなかったことに驚きながらも、この町に移り住んでほしいことを告げるが・・・
ケイシ―・アフレック、ルーカス・ヘッジズ、ミシェル・ウィリアムズ、
カイル・チャンドラー、C・J・ウィルソン、グレッチェン・モル、
ベン・オブライエン、カーラ・ヘイワード、マシュー・ブロデリック 他 出演
ケネス・ロナーガン 監督作



<感想>
ほんのり曇っているような淡い灰色な海の街で起きた
後悔してもしきれない一瞬・・
その、あまりにも重い罰せられることさえないあの時を
捨ててはいけないと自らに罪をきせそれを鎖につないで
自分で自分を罰しながら痛みと共に生きているリー。
それでも、リーの兄が遺したものは安らぎの生の中に
戻ってきてほしいとの願いだったのだろうか。

その街に戻れば、そこに行けば否応なしに
向き合わなければいけないものが彼方此方にあって、
ただ歩いているだけでも観えない何かにぶつかっているようなあの感じ・・
互いに亡くしたものどうしが擬似親子のようになっていけばいくほど
逃れることが出来ない決して消えないものに
立ち向かわなければいけなくなる苦しさ。

リーがいつも飾ってある写真をパトリックが無言で見つめ
なんともいえない気持ちになっているようなあの場面・・
そう、この映画はセリフや説明はないけれど
とても刺さる一瞬をザクザクと感じさせる場面がたくさんあって
優しい友だちジョージが養子のサインをしてくれている時に
弁護士は無視して携帯を眺めていたりとか・・
かつての妻、ランディとの再会での立ち話の場面でも
過去の辛いやりとりではなく彼らの今そのものを観せてくれたので
それが逆にふたりの辛かった日々を鮮明に想像させてくれ
心底感じ入ってしまって、ランディと一緒に
嗚咽のような涙を流しそうになってしまったり・・
そうやって細胞にズキっとくる場面がそこらじゅうにあるので
映画を観ている・・というよりも、なんだか
彼らと一緒にそこにいるような感覚にさせてくれたようだった。

あまりにも辛すぎて、どうあがいても
乗り越えられない耐えられない
決して、一生癒されることもない出来事。
それでも、リーは兄が遺してくれた
誰かのために生きることをぎこちなく受けとってくれた。
それはとても壊れそうなことかもしれないけれど
心から笑える日だってきっとあるから・・
どうかその時を恐れないで、と 願わずにはいられなくなる。

最初は今にも泣きだしそうだった淡い灰色の海だったのに
その淡い灰色がほんのり包んでくれそうなラストシーン。
静かにゆれているような海の輝きが、どこまでも優しかった。



*2017年6月の或る日、映画館で。




 「メッセージ」  2016年 アメリカ

<あらすじ>
突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズは、“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは・・
エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、
マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー 他 出演
ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督作



<感想>
念のためにワクチンを打ち、防護服を着る。
それでも足りずに生きた小鳥まで安全の実験のようにおき
残酷さと臆病さと滑稽さを隠そうともせずに
自分たちとは異なる生物が地球に舞い降りてきた理由を知りたがる人間。
まだ起こりもしないことに不安になっているのはどうしてなんだろうね。

いつから時間の流れに沿って生きるようになったのか
そもそもどうして時の流れは過去から未来なのか・・
気がつけばなぜか自然にそう思いこんで生きていたから
彼女が幾度となくフラッシュバックさせていた愛すべき娘との日々を
最初は当り前のようにルイーズの過去の
哀しい想い出なのだと思いこんで観ていたら
そうじゃなかった!と知った時の、新鮮なショック。
あぁ、そうだよね、確かにそうだよね・・と気がつく。
過去も未来もない。それは、すぐそこにあるもの。
いつか起こる逃れることの出来ないことに縛られ不安になるけれど
たとえ、哀しみが待っていようと、今この瞬間を生き
出逢いを否定しないルイーズの繊細さと強さの狭間に切なくなる。

命はいつかは消えていくのにどうしてこんな生き方をしているんだろう
ありのままを生きて瞬間瞬間を愛せたら、どんなに素敵だろうとわかっているのに
どうして傷つけてしまうのだろう、なぜ勝手に不安になり争ってしまうのだろう・・

ルイーズが籠の中の小鳥をチラリと観てから
防護服を脱いだ瞬間の開放感と アボットとコステロが
突き飛ばして助けてくれた時に感じた鼓動が忘れられない。
思えば昔、言葉じゃない気持ちだよ、と、ただ漠然と
軽く言い放っていたけれど、そうじゃないんだと今更ながら実感する。
言葉が気持ちを作るのかもしれない、言葉が性格を作り
思考になり、行動になっていくんだものね。
今はただ言葉をちゃんと持ちたい。自分の言葉を・・
映像と音が重なり、静かに感傷が歩みよってくるような
なんとも沁みる不思議な映画でした。



*2017年5月の或る日、映画館で。




 「スプリット」  2017年 アメリカ

<あらすじ>
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が乗り込んできて3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な密室。彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男はさっきとは違う異様な雰囲気で姿を現す度に異なる人物に変わっていた。彼には23もの人格が宿っていた。そして、さらに恐るべき24番目の人格が誕生して・・・
ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイ、ベティ・バックリー、
ヘイリー・ルー・リチャードソン、ジェシカ・スーラー、他 出演
M・ナイト・シャマラン 監督作



<感想>
『アンブレイカブル』を観たのはいつだったか・・
ほとんど忘れていたのだけれど
最後のダイナーで某氏登場のあの場面に、あれ?となり
エンドロール後にふーん・・そうなんだぁ・・となり
あぁ、そういえば列車事故の話だったよなあ
だから、あの場面で、ホームに花束だったのか・・となり・・
なんかこう、こーんなに長い年月が経ってからの続編風なノリに
すんごく、ぼんやーりした気持ちになりました・・・(苦笑)

よくわからんけれどシャマラン監督って
超人説や能力の可能性を問いたいのでせうか・・
『シックス・センス』の時には少年の第六感で
虐待されて逝ってしまった少女のことを見つめてくれて
『アンブレイカブル』では全身の骨が骨折しやすい難病の男と
何があっても死なない丈夫な能力をもった男、
そして今回の『スプリット』23人の人格を持つ多重人格で
24人目は超人ハルクかよって感じの男になるという。
この映画の主人公も子供の頃に親に虐待されていて
もしかしたら、自分を守るために多重人格(解離性同一性障害)に
なった可能性もあるのだろうなと思うと
最後のどんでん返しとか、そこはどうでもよくて
虐待されたり、世間から隠れた所で誰にも気がつかれず
酷い目にあっている立場の人達にパワーを持たせたいのかなあと
そんな風に勝手に想像してしまった。

でも、『スプリット』ちょっとB級チック。
だって、拉致監禁されてしまう3人の女子、もう一人の主役でもある
ケイシ―以外のふたり、あんなに悲惨な目にあっているのに
ものすごく雑な扱いで、どういうこと?って思ってしまう(苦笑)
精神科医も演じるベティ・マックリーさんの存在感は素敵だけれど
作品中の存在感は中途半端な扱いなので、あの肝心の場面での
ハラハラ度がいまひとつな感じになってしまう。
それでも、ケイシ―の存在はとても興味深かった。
子供の頃からの場面がフラッシュバックされ
彼女もまた叔父に虐待され強姦され続けてきた過酷な人生だったと知る。
そしてラスト、せっかく助かったはずの彼女を迎えにくるのが
あの、叔父、というケイシ―にとっては最悪の結末。

なので、次の超人対決の話よりも
ケイシ―のその後の方が 気になるといえば気になるので
そういう意味では続編も気にしていたいけれど
シャマラン映画は果たしてどんでん返しなのだろうかと疑問になる。
確かに『シックス・センス』のラストが 心に残っているのもあって
ついつい彼の映画に あのレベルを期待してしまうけれど
あの映画は、たとえオチがわかってもいい映画だなって思うし
他の映画も好き嫌いは別として
それほどどんでん返してない気がするんですよ。
とくに今回のは、まったくどんでん返しじゃなかった。
核になっているのはそこじゃない気がするんですよね。
いい具合にB級チックというお茶目さもあり
昔、テレ東であった洋画劇場で木村奈保子さんが時々
紹介するのに困りそうな映画を紹介してくれるような
そんなタイプの映画な気がするんですよ (・・って、どんな映画だ・笑)
なので現代のヒッチコックとか、そういうんじゃない気がする
(でも、ちょい出たがりさんは似ている・笑)
なのでもう、彼の映画のラストに期待するような観方はやめよう、
そう決心した作品でもありました。



*2017年5月の或る日、映画館で。




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