やっぱり映画は映画館だよね。
*星マークが、5:大好き、4:好き、3:キライじゃないよ、2:なんで観たのか、1:時間と金返せ

 「Wの悲劇」  1984年 日本

<あらすじ>
劇団「海」の研究生・三田静香は、女優としての幅を広げるため、先輩俳優の五代淳と一晩過ごした。翌朝彼女は、不動産屋に勤める森口昭夫という青年と知り合いいつしか恋人同士になるが恋愛よりも芝居に打ち込む日々が続いていた。そんな矢先、看板女優・羽鳥翔のスキャンダルの身代わりになったことで転機到来。静香は「海」の次回作公演『Wの悲劇』のヒロインの座を手に入れるが・・
薬師丸ひろ子、世良公則、三田佳子、 高木美保、三田村邦彦、
蜷川幸雄、仲谷昇、清水紘治、南美江、志方亜紀子、内田稔、藤原釜足、
西田健、香野百合子、日野道夫、草薙幸二郎、堀越大史、野中マリ子、
梨元勝、福岡翼、須藤甚一郎、藤田恵子 他 出演
澤井信一郎 監督作



<感想>
なかなかいいなと思うのは原作をそのまま映像にしても
まったく映画にならない話だから、いっそ劇中劇にしてしまって、
他の部分は完全に映画オリジナルの話にしてしまうというアイデア。
そして、その劇中劇の内容とオリジナルの話での関係性が
重なっているというのもウマイ作りだなと感心してしまう。

だけれども、そのオリジナル部分の主役の恋人同士が
ありえないふたりで、表現も以前観た時から古すぎたし
今観たら尚更古いクサイし、もうね、
どうしていいのかわからなくなる(笑)
けど、そのことを吹き飛ばすがごとくの三田佳子さんの存在は
年月がたっても、迫力満点。これ、演技と言うか
もう本人そのものなんじゃないかって思ってしまうくらい(笑)
劇中劇での蜷川さんも自分自身を演じてくれていて、
ちゃんと台本投げてくれるし(笑)サティの曲が流れると、
あぁ、蜷川さん!って、テンションあがりました。

それとクサイクサイとはいえ、世良さん演じる青年の告白で
友達の病室でここはもっと泣いた方がいいのではと思ってしまう
もう一人の自分についての話は俳優に限らず
人間なら誰しもある感情なのではないのかなと思ったり。
なので、ラストに薬師丸さんが
「もうひとりの自分とうまくつきあっていくわ」というのは
とても好きなセリフでした。

つっこみどころ満載なのに、なんだか愉しい。
この映画のネタだけで長い時間をつぶせてしまう(笑)
そういう意味では愛すべき映画なのです。



*2017年2月の或る日、映画館で。




 「ニーゼと光のアトリエ」  2015年 ブラジル

<あらすじ>
1944年、ブラジル。精神病院の門をたたいている女医。彼女の名はニーゼ。そこでは毎日のように電気ショックなどの暴力的な治療が行われていた。患者を人扱いしない光景を目の当たりにしニーゼは言葉を失う。最新治療にしか興味のない男性医ばかりの院内で彼女が身を置けるのは、ナースが運営する作業療法部門だけだった。そこでニーゼは患者に絵の具や筆、粘土などを与えて、彼らが自由に表現できるよう病室をアトリエに作り変えるが・・・
グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン 他 出演
ホベルト・ベリネール 監督作



<感想>
無意識の中にある表現・・皆にあるはずのことなのに。

そこではロボトミー手術というとんでもないことが行われていた。
アイスピックや電気ショックで精神病者の脳を乱暴に扱っている。
『カッコーの巣の上で』みたいに。
そんな治療が当り前のようにまかり通っていた時代に
患者(彼女はクライアントと言う)ひとりひとりに寄り添い
耳をかたむけていたニーゼ。作業療法として芸術をとりいれて
心のまま絵を描いてもらったり、粘土などで思いのまま
何かを表現してもらう。意見は言わずそのままを観察すること。
そのことが私たち(ニーゼと看護師たち)の仕事だと伝えていく。

ふと思う、そういえば、どうしてアタシたちは
この生活をしているのだろう。朝昼晩と決められたリズムで、
とりあえず勝手に正しいことと言われているものに従って生きている。
そのことが結果的にロボトミー手術という恐ろしいことが
まかり通ってしまったことになっていったのではないだろうか。
ニーゼの言う無意識の中にある表現は、きっと誰にでもあるはずなのに
いつの間にか封じこめてしまっていて。
あらゆる生物の中で、これほど何かを決めつけなければ
生きていけない動物は人間だけなのかもしれない。
だからこそ、勝手に他の生物たちの生態までも操ってしまおうとする。
それは健常者と精神病者というものを分けているのは
なんだろうということにも繋がるのかもしれない。
人間は正しいとは何かと答えのない答えを逃げるように出してしまい
そこに無理矢理押し込んでしまい、そこからはみ出してしまい
自分とは違う表現をする者をつぶしていく。なんだか心底怖くなる。

それでも辛く厳しい場面も多くて無情な場面もあるのだけれど
あのピクニックの場面が忘れられない。
淡く揺れ動いているような温かい笑顔につつまれた陽射しの中で
優しさとユーモアが入り混じっていて、泣きそうになってしまった。

ラスト、本当のニーゼがインタビューに答えてくれた映像が流れた。
茶目っけもあってとても素敵なひと。
彼女は言う、人生の生き方の道は1万通りもある、と。
そして、どの道を行くのかは自分自身で選ぶということ。
思えば管理社会という意味では現代にも通じる話で
その中で、たった一度の本番の人生なのだもの、
そのちっぽけな管理とやらの奴隷にならないように
生きていかなければ・・そんな風に思わせてくれる良心の映画。
ニーゼ、まっすぐな勇気をありがとう・・
それにしてもだよ、ワンコが可哀想すぎたよ(泣)
それから、ニーゼと暮らしているニャンコたちが可愛いすぎたよ。



*2017年2月の或る日、映画館で。




 「時をかける少女」  1983年 日本

<あらすじ>
高校生の芳山和子はある日、同じ情景を何度も体験していることに気付く。彼女はタイムトラベラーになってしまったのだ。やがてその能力は、かつて理科実験室でかいだラベンダーの香りに秘密があることが判明するが・・。筒井康隆の同名小説の映像化。
原田知世、高柳良一、尾美としのり、入江たか子、上原謙、
津田ゆかり、岸部一徳、根岸季衣、内藤誠、入江若葉、山下陽子、岡寛恵、
きたむらあきこ、升元泰造、高林陽一、明日香いづみ、小川麻衣子、
石井きよみ、内藤研、新井瑞、新井雅、平野仙丈、加藤岳史 他 出演
大林宣彦 監督作



<感想>
実はこの映画は何度か挑戦している・・
そして、観るたびにありゃーってなる・・
とはいえ、話はちょっぴり切なくて嫌味がない。
以前は未完成過ぎるふたりの主役とこっぱずかしいセリフに
観ているこっちが照れてしまい、いやはやとなっていたんだけれど
何度も観たという訓練の成果なのか
今回はその未完成さも味なのかもしれないなと思ったし
なんだかんだと原田さんの透明感は魅力あるしで
うっかりラストに一緒に歌いそうになったくらい
成長したかもしれません(笑)

それに、入江さんと上原さんの存在感はさすがで
画をかっさらっていく説得力とてもあるしで
何度観てもギュっと心をつかまされてしまうのと
お醤油運んだり注いだりしている仕草を観た時
尾美さんっていい俳優なんだなあと今更ながら気がつくのです。

忘れられる記憶の中で、過去と未来を行き来するからこそ
今は今だけなのだという気持ちが強くなり、
ほんのり、じんわり。なかなか切な可愛い、いい話。

それにしても、大林監督の尾道愛は素敵だなあ。
ただそこでロケしているというのではなく
知り尽くしているからこその街そのものの情感や
静かな息吹が伝わってくる。今すぐ尾道に行きたくなっちゃう。

というか、どうでもいいけれど、この映画を観るたびに
朝からメロンかよ!って、思うんですよ、うらやましいよ(笑)
それから、時代が流れすぎたよね、あの体操着・・(笑)



*2017年2月の或る日、映画館で。




 「セーラー服と機関銃」  1981年 日本

<あらすじ>
遠い血縁関係にあるヤクザの親分が死んで跡目を継ぐことになった女高生が四人の子分と、対立する組織に戦いを挑む。赤川次郎の同名の小説の映画化。
薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦、三國連太郎、風祭ゆき、大門正明、
林家しん平、酒井敏也、柄本明、佐藤允、北村和夫、寺田農、
柳沢慎吾、岡竜也、光石研、藤原釜足、円広志、斉藤洋介 他 出演
相米慎二 監督作



<感想>
ラストに薬師丸さんの歌が流れると
これは一応アイドル映画だったのかと思い知るも
なんともエキセントリック。この妙チクリンな不思議な空気感と
乾いているのか暑苦しいのか決めつけることが出来ない奇妙な熱情
無茶苦茶でツッコミどころもありまくりなのに
心に残る残像力がとても強くて何度も思い出してしまう。
バイクで走っている時の爆走からの静けさ
脱力的な憂いの中でゆれているブランコ
かすかな緊張と情が伝わってくる包帯をまく場面・・

どうしてこんなにも相米監督の長回しには
心を揺さぶられてしまうのだろう
時々ホロリときてしまい、映画の色香を感じてしまう
その圧倒的なざらつき感覚がたまらない。
なので観ているこっちが恥ずかしくなるセリフでさえも
どこか微笑ましく見つめてしまった(笑)

それにしても今観ても三國さんの得体のしれない感じはスゴイし
渡瀬さんはカッコよすぎるし、大門さんはチャーミングだし、
あと、松の木組の組長役の佐藤さんの笑いはなんとも印象的。
だって、気がつけばいつも裸だもん(笑)
そして、星泉。やっぱり、後にも先にも薬師丸さん。
まん真ん中に彼女がいてこそ成り立つような
そういう映画なのだと何年かぶりに観てようやく納得。
今更ながら声とか佇まいがほんとに個性的で眼チカラがあって。
正直、当時はあの声とか苦手だったんだけれど、
むしろ今は彼女だけの個性だから耳に残っていいなあって思ったり。
この映画に再会してみてよかった。



*2017年2月の或る日、映画館で。




 「マグニフィセント・セブン」  2016年 アメリカ

<あらすじ>
冷酷非道な悪漢バーソロミュー・ボーグに支配された町で、彼に家族を殺されたエマは賞金稼ぎのサム、ギャンブラーのジョシュなど荒れ果てた大地にやってきたワケありのアウトロー7人を雇って正義のための復讐を依頼する。 最初は小遣い稼ぎのために集められたプロフェッショナルな即席集団だったが・・・
デンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホーク、
ヴィンセント・ドノフリオ、イ・ビョンホン、マヌエル・ガルシア・ルルフォ、
マーティン・センズメアー、ヘイリー・ベネット、ピーター・サースガード 他 出演
アントワーン・フークア 監督作



<感想>
エンドロールにお馴染みの『荒野の七人』の曲が流れ楽しくなるものの
子供の頃、テレビの洋画劇場で観たきりで肝心の映画が
どんな感じだったのか思い出せない。それなのにこの音楽だけは憶えていた。
それにしても新しい七人。なかなかカラリとしていて気に入った。
おまけに『トレーニングデイ』が大好物だった自分にとっては
デンゼルさんとイーサン・ホークさんってだけでヨダレが(笑)
そのイーサンの相棒ビリーのイ・ビョンホンさんがまた色気ありありで
ナイフの使い方もカッコイイよねぇ。それと、あの、
弓矢の彼は『七人の侍』で言うところの菊千代だよね?
いっぱい矢を背負っていたのに1本もなくなって、
「あ・・」ってなったのを観た瞬間、菊千代が予備の刀を何本もぶっさして
ガンガン戦っていたよなあって思い出したりして東西どちらも
菊千代キャラというのは、独りで生きてきた感があってキュンとくる。

見所満載の撃ち合いに加え、馬の場面がどこもかしこも素晴らしくて
遠くで馬にのっている小さなシルエットにはジーンとくるし
激しい場面では、手に汗握ってしまって、あれは実写なのだろうか、
それともCGなのだろうか、と、ハラハラ考えてしまい
正直、CGの方が色々安心するってくらいの動きだったし
トラウマのせいでいったんは抜けるグッドナイトスナイパーなイーサンが
「悪魔の銃だ!」と仲間たちに伝え戻ってきた場面は
ベタだけれどウルっと泣きそうになってしまった。

観終わってみれば結果的にサムなデンゼルさんの復讐に
皆がつきあわされた感もあって、あら?みたいなもんはあれど(笑)
デンゼルさんが演じているからこそのカッコよさとカリスマがあり
好きなんですよね、すべてを見据えているようでいて
実はその奥に熱いものがこみ上げてしまう
感情的なところが見え隠れするような、彼のあの眸が。
と同時にだからこそエマの復讐心と怒りと哀しみを
一番理解していたのもサムだったのかもしれません。

散っていく者、残る者、立ち去る者、見送る者、
この単純さ、娯楽のシアワセ感、いいね、いいよね、好きです。
それにしてもだ、いつの頃からか悪役の演技って
変な汗かいているような『レオン』の時のゲイリー・オールドマンさん的な
同じような演技をする人が多くなった気がするのだけど(気のせいかもだけど)
この映画でもピーターさんが、なんだか、そんな表情をするのだ。
思えば『K-19』や『ニュースの天才』の時に
ちょっぴり好きだったピーターさん。
悪役も似合う素敵な俳優さんになっておったけど、
もう変な汗かくような表情の演技はやめてね(笑)



*2017年2月の或る日、映画館で。




 「沈黙 サイレンス」  2016年 アメリカ

<あらすじ>
17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。 日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の 井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして・・
アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライヴァー、 リーアム・ニーソン、
窪塚洋介、イッセー尾形、浅野忠信、 塚本晋也、 笈田ヨシ、キーラン・ハインズ、
小松菜奈、加瀬亮、SABU、黒沢あすか 他 出演
マーティン・スコセッシ 監督作



<感想>
自分が信じてきたことが揺らぐ時はどんな時だろう。
形から入るのか、形はどうあれ心の中で信じ続けるのか。
物を持って儀式として祈り、その想いをそれに宿すのか、
それとも何もなくても気持ちさえ無でいれば揺らがないのか。
美しく真面目に作られた映像、俳優たちの熱演、
ポルトガル人なのになぜ英語?とか思いながらも
なぜだか気にならず、すんなり観ることが出来たりして
ホント、なんの文句もない素晴らしい映画なのだけれども、
なぜだろう、なぜだかピンとこない。気持ちが離れてしまう・・
どうしてなんだろう、・・と思いながら
観続けていた時に長崎奉行の井上が放った
「太陽」という言葉に、はっ!となるのだった。
(それもイッセー尾形さんが言うもんだから・・
 『太陽』太陽・・いや、いいです、すんません・汗)

自分は無宗教だから、深いことはわからないのだけれども
それでも太陽に感謝したりする感覚は単純にわかる気がする。
それこそ、目に観えない風に揺らいだ葉にさえも
愛しいと感じることが出来るという、
神は身近に存在する的な最終的には無を目指す仏教的な感じと
すでにこの世にいない人を神にして崇めるという
キリスト的な感覚とは根本的に違うのだろうなと気がつき
なので、彼の言う日本は沼地説がとても興味深かったし
モキチやじいさまたち3人が恐ろしく残忍な処刑にあったのも
敬虔な信者であったというのもあったのかもしれないけれど
ロドリゴたちを守るためだったという説の方がなんとなくピンとくるのだ。

様々な登場人物が出てくる中で、生き抜くためには
誰かれ構わず平気で裏切り何があっても死なず、
それでも小さな十字架を持ち続けていて
何度も赦しをこいながらフラついているキチジローの存在は面白い。
彼を観ていたら、ふと、キリストの赦しということへの皮肉を描いた傑作
『シークレット・サンシャイン』という映画を思い出した。
というかキチジローは最後、江戸にまでいるし
気がつけばいつもロドリゴといるということは
もしかしてこれは『ファイト・クラブ』よろしく
キチジローはロドリゴのダメダメ部分で彼の分身なのかとか・・
実は、恥ずかしながら原作は読んでいないので、
勝手に妄想、想像広がって止まらない・・(笑)

最初はピンとこなかったのに観終わった後に
色々思い返していたら後からどんどん面白くなってきていた。
あぁ、そういえば・・と様々な場面を思い返し
セリフやちょっとした表情を思い返したりして
いつまでも口の中でころがして噛みしめて味が広がり
豊かな気持ちになりました。



*2017年1月の或る日、映画館で。




 「人魚姫」  2016年 香港・中国

<あらすじ>
若き実業家リウは美しい自然保護区域・青羅湾を買収。リゾート開発のために海中に設置した超強力ソナーで海洋生物を湾から排除し、埋め立て許可を取り付ける。環境破壊のせいで行き場を失った"人魚族"は、難破船に逃げこみ、絶滅の危機に瀕していた。幸せな日々を取り戻すため、リーダーのタコ兄の指揮のもと、一族は「リウ暗殺作戦」を決行する。可憐な人魚シャンシャンを人間に変装させ、リウへの急接近を試みるが・・
ダン・チャオ、リン・ユン、ショウ・ルオ、キティ・チャン、ティン・カイマン、
バイ・クー、ウェン・ジャン、ラム・ジーチョン、クリス、ツイ・ハーク 他 出演
チャウ・シンチー 監督作



<感想>
すごいよね、前転で帰るんだよね・・(謎笑)
いや、なんか、だって、もう、
笑いと涙と血みどろの暴れ食いって感じなのだもの。
「どんなにお金を稼いでも、きれいな水がなくて、
 きれいな空気がなかったら意味はないのよ」という
ものすごくストレートでいて真っ当な軸を手放さないでいながらも
そのまわりでグチョングチョンにこねくりまわしコテコテに笑わせて
容赦ない残酷さを否応なしに投げつけてくる。
ボロボロになって殺されていく人魚たち。
その残酷さは人間が他の生物たちにやってきたことでもあるわけで・・
でも観ている時にはそんな風に考える暇さえなくて
最初から最後まで夢中だった、笑ってグサリときて、
グチャグチャになっていくリウとシャンシャンの行く末を見つめていた。

本当はシンチーさんが演じているところも観たかったけれど、
でも、リウ役のダン・チャオさんや、
シャンシャン役のリン・ユンさんが魅力たっぷりなのはもちろん
タコ兄ぃのショウ・ルオさんのタコっぷりがよかったなあ。
でも、しばらくタコは食べられない・・(笑)
それにしてもチキンは、あれ・・暴れ食いだよね(笑)
あと、リウがドアの前で帰ってしまう場面とか
あそこに行くまでのあれやこれが(キス練習とか)が
『ラスト、コーション』の場面を彷彿させて
こんなパロディっぽいとこにも思わずニヤニヤしちゃったし、
ツイ・ハークさんの顔見せにはキャっと嬉しくなった。

まるで、季節外れの燃えたぎる真夏の太陽の中に
あらゆるものをぶち込んでかき混ぜるけれど混ざらせず
それぞれを色濃く飛ばせながらも最後には晴れになる。
そんな映画を撮れるのってよくよく考えてみたら、スゴイ。
チャウ・シンチーさんの名前の前によく「奇才」と気軽につけるけれど
でも、気軽につけていいんだ、だって、ほんと、奇才!だもの。



*2017年1月の或る日、映画館で。




 「この世界の片隅に」  2016年 日本

<あらすじ>
1944(昭和19)年2月。18歳のすずは、突然の縁談で軍港の街・呉へとお嫁に行くことになる。新しい家族には夫・周作、そして周作の両親や義姉・径子、姪・晴美。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日の暮らしを積み重ねていく。そして・・・。
こうの史代の同名コミックを片渕須直監督がアニメ映画化した作品。
のん(北條すず、旧姓:浦野)、細谷佳正(北條周作)、尾身美詞(黒村径子)、
稲葉菜月(黒村晴美)、牛山茂(北條円太郎)、新谷真弓(北條サン)、
小野大輔(水原哲)、岩井七世(白木リン)、潘めぐみ(浦野すみ)
小山剛志(浦野十郎)、津田真澄(浦野キセノ)、京田尚子(森田イト)、
佐々木望(小林の伯父)、塩田朋子(小林の伯母)、瀬田ひろ美(知多さん)、
たちばなことね(刈谷さん)、世弥きくよ(堂本さん) 他 声の出演
片渕須直 脚本・監督作



<感想>
思えば忘れがちで無視されがちだけれど
日々の生活や家事は戦いであり闘いなのだ・・ということ。
それは戦争中でなくても、その日を生きぬくため
人は知らず知らずなにかをやりとげるために頑張っているのだ・・
そんなことを気がつかされると同時に、そこに気がついてしまうのは
やはり、当り前の日々ではないからなのかもしれない。
ただ皆で当り前の事に笑い、当り前のことに怒る・・
その当り前が奪われた日々を生きている・・
生きるため、生きぬく・・そう、なんていうか、なんだろう・・
すずさんのほわほわした中から流れてくる優しい中の狂気、
決して誰かを恨むわけでもなく言われたままに生きてきた彼女が
「無事でよかったね」って言われたことへの憤りを抱いた瞬間
今まで、それこそ、すずさんの人生のように
当り前に目の前の映画を受け入れて油断していた何かが壊され
水道の蛇口が壊れるがごとくゴンゴンと涙が出てきてしまった。
そこから追い打ちをかけるようにひとつひとつの
エピソードがグサリグサリと刺さっていく。
戦争がいけないとは、この映画は言わない。
でも、こんなにも、反戦の思いを
強く決心したくなる映画は他にないのではないだろうか。

失くしたその手に親を亡くした子供がすがりついた。
当り前じゃない日々に出くわしてしまった命たち。
あの日、あの時、あの場所で、名もなき人たちの出逢いたち。
「この世界の片隅でわたしを見つけてくれて、ありがとう」
頼りないけれどかけがえのない繋がりを、
その優しさでどうか、どうか、生きぬいて・・と
願わずにはいられない思いでいっぱいになってしまう。
正直、アニメは苦手だったはずなのに
こんなにも切なくなるなんて、夢にも思わなかった。

それにしても・・
量がはんぱなく増えていた楠公飯が気になる・・よ(笑)



*2017年1月の或る日、映画館で。




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